会社概要 COMPANY

沿革・グループ

沿革

昭和10年12月 川崎市川崎区鋼管通り1丁目において飴製造業及び菓子問屋として田中商店創業。兄・田中友之助氏の石黒飴店(大森)で外商をしていた田中盛之助が23歳で独立。「田中商店」として菓子卸と小売を始めた。
昭和20年4月 空襲で店舗焼失。
昭和20年5月 盛之助召集、佐倉七四部隊に入隊も8月終戦。終戦後、鋼管通り兵舎跡の公団住宅において、飴製造を再開。 食べ物に不自由していた時代でもあり、製造した飴は飛ぶように売れ、石油缶に百円札が入りきらなかったほど。
昭和27年2月 田中製菓株式会社に改称
資本金500万円 業務拡張のため、川崎市川崎区池上新田に移転。産業道路に面した土地に270坪のブロック二階建ての建物を作り、問屋部門を拡大。飴製造を止め、アイスクリームとアイスキャンディーの製造のみ続けたが、それも昭和38年頃には問屋業務専門となる。当時の田中製菓の年商は12億円ほど。
昭和35年頃 タバコ販売の許可取得 当時、専売公社であった現日本たばこはパチンコ店に対してタバコを直接販売しなかった(現在も直接販売はしていない)。そのため、タバコも扱えないかというパチンコ店のニーズに応え、タバコ販売も開始。これがパチンコ業界を知るきっかけとなる。
昭和42年9月 川崎市幸区神明町(現住所)に新築移転 産業道路沿いにあった池上新田の店舗を高速道路建設のため敷地の半分を売却しなくてはならなくなった。そのため、昭和40年に現在の第二京浜国道沿いに500坪の土地を買収し、昭和42年9月に新社屋が完成。商圏も関東一円から福島県にまで広がり、当時の年商は65億円と、飛躍的に伸びた。
昭和47年7月 田中製菓株式会社現金卸部門を開設
昭和53年12月 現金問屋田中屋鶴見店開設
昭和56年12月 現金問屋田中屋関連市場開設
昭和57年10月 吉兆グループ創業
吉兆プルミエ店オープン 相次いで現金問屋を開設するも田中屋鶴見店の敷地は使い勝手が悪く、遊んでいる土地が200坪ほどあった。空いているその土地を得意先で、あるパチンコ店から店を出すから貸してくれないかと依頼が来たために、他人に貸すよりは自分たちで始めてはどうか、と考えたのが田中製菓株式会社がパチンコ業界に進出するきっかけとなる。当時、パチンコはブームの兆しにあったが、まだまだ店舗は駅前が中心。大規模な駐車場付の郊外型店舗というのはほとんど存在しなかった。しかしながら、当時田中製菓で営業廻りをしていたグループ代表・田中秀雄氏は、郊外の田畑の真ん中に広い駐車場を完備し、成功を収めているパチンコ店の存在を知っており、十分、営業は成り立つと見込んでいたのだ。
昭和59年10月 吉兆横浜鶴見店オープン
平成4年11月 吉兆横浜西寺尾店オープン
平成4年12月 パーラー吉兆オープン
平成6年8月 吉兆東名川崎店オープン
平成6年12月 ジョイフル吉兆横浜西寺尾店オープン
平成7年4月 株式会社キャスブレーン設立
平成9年12月 吉兆川崎中央店オープン
ジョイフル吉兆川崎中央店オープン
平成12年5月 ガーデン吉兆川崎中央店オープン
平成12年12月 吉兆川崎野川店オープン
ジョイフル吉兆川崎野川店オープン
平成15年2月 吉兆横浜駒岡店オープン
ジョイフル吉兆横浜駒岡店オープン

グループ

店舗運営で培ったノウハウを事業化 「キャリアライアンス」

キャスブレーン、キャスメディア(店内装飾・広告の企画・制作)、PDシステム(情報システムの企画・制作)など、計6社からなるキャスアライアンスは、吉兆の店舗運営により培われたノウハウを外部に提供することで収益構造の多面化を図るとともに、吉兆各店に来店されるお客さまに対してパチンコに留まらない、新しいアミューズメントサービスの実現を目指しています。

事業化例:メディアデザイン(株式会社キャスメディア)

ホール内を飾るポスターやポップの企画・制作、広告業務を行います。私たちは今まで、お客様にお伝えしたい情報だからこそ、店舗内を飾る色とりどりのポスターやポップは、他人任せではなく社員・スタッフ一同で真心込めて作成してきました。
伝えたいという思いと共に培かわれてきた制作ノウハウだからこそ、パチンコチェーンの枠を超えて通用するものと考えています。(キャスメディア)

  • ホールの装飾デザインを企画・制作
  • 店内ポスターやポップの作成